ぐでぺんLIFE

歯列矯正とか旅行の思い出とか日々のお役立ちとか、いろいろ書いてます。

もしも、もしも、まさか

物心ついてから、大きな自然災害にあったことはなかった。
愛知県に住んでいたから、阪神淡路大震災東日本大震災のような大きな地震には遭っていないし、20年前の東海豪雨でも自宅は被災しなかった。だから避難所に行ったこともない。
自然災害が起こると、テレビに流れる映像を、ただ無力さを感じながら眺めているだけ。そして職場で支援活動に行く人の分の仕事を引き受ける…いつもはそんな流れだった。


自然災害にこそ遭ったことはないけれど、思い返せば「もしもの時に備える」は常に行っていた。

私は家族とのソリが非常に悪く、災厄の原因のほとんどが母親によるものだったため、災厄は常に身近にあった。そして「もしもの時に頼れる誰か」が存在しなかった。

何かあっても頼れるのは自分だけ。
だからどんなに小さな「もしも」でも自分で備える必要があったのだ。

自力で「もしも」に備えるためには先立つものが必要だ。学校で必要なものや鎮痛剤*1、髪の毛を切るのですら父親に三つ指ついて頭を下げないとお金をだしてもらえない*2父親も頭を下げられるのはまんざらでもないようで、その儀式は好きなようだったし、そうしてもお金をだしてもらえないなんてよくある話だった。
妹や弟には土下座させずに買い与えていたけれども。

こんなことしたくないと中学生の頃から強く感じていて、高校生になったら親や学校に隠れて派遣バイトをして、得たお金で必要なものを買っていた。*3周りの子たちは当たり前のように与えられていたものが、私には自分の時間と労力を引き換えにして得たお金を払って、やっと手に入れられるものだった。当時から違和感は薄々感じていたが、大人になってから改めてあの家は異常だったのだと痛感した。

社会人になり実家を出たところで、何かあっても頼れるのは自分という状況は変わらない。
「もしも」にはお金が必要だと知っていたし、誰も何もたすけてくれないのを知っでいた。だから社会人になってから恐ろしい勢いで貯金に励んで、結果的に1年で150万貯めた。
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そしてもしもへの備えが加速していく。

もしも地震が来たら、もしも台風が来たら、もしも急に体調が悪くなったら、もしも急に女性の日になったら、もしもメインバンクからお金が下ろせなくなったら、もしも、もしも…
家と職場にお茶とお菓子を買い置き、家とかばんと職場にロキソニンを常備し、女性用品の買い置きは常に余裕をもってのいるし、体調が悪くなっても生活が回るように家電も揃えたし、おうちにも好きなものを集めて整えて居心地の良い部屋にした。ある程度のまとまった貯金をつくり、さらにどこかの銀行が破綻しても当面の生活はできるように口座を複数にしてある。

しかし、たくさんのもしもを数えて、あらかじめできることをコレクションしてきた割に、思わぬ方向からもしもの事態が「まさか」になって飛んできたりする。
家の契約更新ができなくてすぐに引っ越すことになったり、働きすぎて体を壊してしまったりした。
そんな「もしも」、想定してなかった。だから対応策なんて考えてもいなかった。
それでも何とか対処できたのは、たくさんの小さなもしもに向き合って、できることから積み重ねておいたからだと思うのだ。

地震も台風にも遭わなかったものの、停電時には食料と水で対処した。急な体調不良でもとりあえずロキソニンを飲んで自宅までは自力で帰れたし、女性の日は急だから用意していてよかったといつも思っている。そして居心地の良いおうちで、洗濯や家事、経済面での心配をしないでベッドでゆっくり休めている。銀行はまだ破綻していない。

今年はパンデミックで日常が急激に非日常になったけれども、積み重ねてきたもののおかげで特に困ることなく生活できている。
おうちの居心地もいいし、貯金のおかげで経済的に困窮せずに済んでいる。
もちろん、パンデミックの想定なんてしていなかった。まったく違うもしもためにできることをやっておいただけだ。
でも想定外の「まさか」のときに役立ってくれた。
あるだけでとれる行動が広がるので、もしもに備えるアイテムとしての貯金は万能であるのを実感している。
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多くの行動が制限される、想定していなかった「まさか」の非日常の今、あってよかったと思っているのはお金や物だけでもない。
今まで行った旅行や、食べて美味しかったもの、楽しかった体験やあたたかい友人。
ハワイやパリ・ウィーン、台湾。札幌や小樽、旭川、神戸、大阪、沖縄…、映画に美術展。
気軽に行けなくなってから、行っておいてよかったな、観ておいてよかったな、楽しかったな…と心に明かりを灯し、温めてくれる思い出が私にあってよかったと思っている。そして折に触れて気にかけてくれる友人には心から感謝している。

そして「もしも」は悪い「もしも」だけでもない。
昔は早く実家を出たくて、もしも一人暮らしできたら…ああしたいな、こうしたいなと考えていた。
思いは叶って、しかもその時の想像以上の生活が送れている。
美味しいものや本や映画を楽しんだり、今はいつかもしもまた海外旅行に行けたら…と世界史や地理を勉強してみたり、語学にふれてみたり。今を心豊かに楽しく過ごすこともまた「もしもの備え」のひとつの形だと思うのだ。

結局のところ、何に対しても「起こるかわからないことを想定して、あらかじめやっておく」ことの積み重ねが形になって備えとなり、いざその時に活きてくると思うのだ。
今日も明日も来週も、できることを少しずつ積み重ねていく。そんな日々がとても愛おしい。



今週のお題「もしもの備え」

*1:生理痛がひどく、よく吐いていた。生理は病気じゃない教の母親のため、鎮痛剤は買ってもらえなかった。

*2:母親がそうさせていた。

*3:下着や肌着も自分で買っていた。